おばんです。色々と感情と思考がまとまらないことがありました。ありましたが、それでもアウトプットしないといけないと考えて今回は自分のお気に入りだったラジオ番組の思い出とその後の感情を書いていきます。
中学の頃。部活や勉強に疲労からか、パニック障害という病気になりました。(詳細は以前書いたこちらからどうぞ)
辛くしんどい日々がずっと続き、不眠気味だった頃。深夜になんとなくラジオをつけてみました。これが全てのきっかけでした。
雨上がり決死隊が、TBSラジオで毎週水曜25:00~27:00に放送して番組『水曜JUNK 雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!』という番組で、当時アメトーークとのコラボ企画もやってたためなんとなく番組の存在は知っていましたがラジオを聴くまでではありませんでした。
ラジオから流れ出したド下ネタはとても文章で書きだしたいとは思えない内容で、聞いていた当時の私は「この言葉電波乗っけていいんだ!」とかなり動揺したのを覚えています。
それからというもの、このラジオが放送される毎週水曜は仮眠などして時間を調整し、必ずリアルタイムで聴くようになりました。また、ほかのJUNKやANNなど深夜ラジオの世界にドはまりしてしまいました。完全にこの番組のせいです。
この番組の特徴として「悪ふざけ」「リスナーとの共犯」そして「ファンタジー」というふざけ系のOP企画などのコント的な要素を散りばめた番組だったと感じています。このあたりは雨上がりがコントを中心に活動していたからだと思っています。
様々なコーナーを楽しんでいましたが、特に好きだったのは蛍原さん主導の「やさしくなりたい」です。このコーナーではジョン・レノンならぬホトレノンが、やさしくなりたいと思った出来事を募集してもらうコーナーで、ネタの最後は「やさしくなりたい」でしめる。
毎回毎回暴走する蛍原さんに「この人こんなに面白い人なんだ!」と大きく印象が変わりました。森三中の黒沢さんもアメトーーク『黒沢ナイト』で「ラジオの蛍原さんを知ってほしい!」と強く訴えていたのも覚えています。
結果的に聴き始めて約1年という期間で番組は終了します。このラジオを聴くために生活習慣や価値観、感性が大きく変化したの間違いなく、色々ともがき苦しんでいた学生生活に一筋の光が差し込んだことは絶対に忘れないです。
人生で初めて行ったお笑いライブイベント。 pic.twitter.com/ZS1mjTmtys
— ていすと (@ro_tst) 2021年8月17日
番組終了後9月に行われたトークライブに行きました。結果的にこのライブイベント参加が人生初のお笑いライブイベント参加になりました。また、同時期にTwitterを始めました。イベント終了後、番組の有名職人やリスナーの方をフォローしまくったのはいい思い出です(その時クソリプも送ってしまったのでそれについてはすみませんw)
数多くの深夜ラジオやお笑いコンテンツを楽しんできましたが、この番組はやはり特別な存在です。繰り返しにはなりますが、自分の今の価値観や感性の大きな軸を構成したということと学生時代の暗黒期に大きな光となったのは間違いないです。
最後に一言。ジークブリン!
【解散報告会を受けて】
『アメトーーク特別編雨上がり決死隊解散報告会』が今週17日に配信されました。
様々な感情になりました。が、トータルで言うと「悔しい」が大きいです。
恐らく雨上がり決死隊並びに宮迫博之に対して大きく感情移入している人はそこまで多くなく、どちらかというと「アメトーークのファン」が多かったかと思います。体感ですが。
なので、宮迫氏に対しドライかつ辛辣な意見が多かったです。それは今回のアメトーークでもそうですし、これまでの振る舞いも決して「上手い人」ということの結果かと…
ただ、そんな不器用な人だからこそ色々と「理想」と「現実」の間で、もがいているという部分もあるかと思います。その上で確実に変わらないといけないのは間違いなく宮迫氏でそこを待つしかないのかと思っています。
「解散」という言葉は重いですが、そうでもしないと色々と保てていけなかったので、現状は致し方無いのかなと。ただ、私は諦めの悪い人間なので「いつかは…!」という感情は捨てないでおきます。かつて雨上がり決死隊のラジオに救われて多くの「きっかけ」となった存在を簡単に「過去」として分断することは、自分にとってあまりにも難しい・・・
そしてFUJIWARA藤本さんの最後の言葉に全てを乗っけます。
では。今日はこのへんで。