TSTの無心テキスト

リハビリブログ改め

パニック障害だったときの過去

時間が空いているので書きます。こういうエピソード系はあまり書いたことがないので、自信は無いですが少しずつ書ければいいかなと。

 

僕は中学生の時に「パニック障害」という病気でした。原因は定かではありませんが、発症した当時中学2年生だったということもあり、受験への不安・睡眠不足・部活動の人間関係などが当てはまるかと思います。

 

そもそもパニック障害とは、

突然理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、吐き気、手足の震えといった発作を起こし、そのために生活に支障が出ている状態をパニック障害といいます。このパニック発作は、死んでしまうのではないかと思うほど強くて、自分ではコントロールできないと感じます。

そのため、また発作が起きたらどうしようかと不安になり、発作が起きやすい場所や状況を避けるようになります。とくに、電車やエレベーターの中など閉じられた空間では「逃げられない」と感じて、外出ができなくなってしまうことがあります。パニック障害・不安障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省より

というものです。

 

発症したのは今でも明確に覚えているのですが、中学校2年生1学期の終業式最中でした。校長先生が夏休みに入る前に生徒たちに話していると、突然謎の不安感と「この場所に居られない!」という窒息感、そして大量の手汗や激しい動悸が私を襲いました。後ろにいた友人(今でも一緒に遊ぶS君)に「ちょっとヤバイかも…」と声をかけましたが、その直後に終業式は終了。なんとか耐えることができました。正直この時のことあまりにも苦しくて正直思い出したくはないのですが、いいきっかけでもあるかと思い今回は詳細に書きました。

 

それから夏休みに突入しました。夏休み期間は特別学校にも行く用事も無かったので症状あまり出ませんでした。しかし、毎年母の実家がある秋田県へと新幹線で向かわなくてはいけませんでした。行きは平気だったのですが、帰りの秋田→東京間で症状が出てしまいました。「一定の時間内閉塞された空間に居なければならない」というプレッシャーは当時の私にとって本当に苦しいもので、前述の症状を紛らわす為に7〜8回はトイレに入ったかと思います。この時に両親に初めてこの病気(病名は分からなかったので具体的な症状)であることを伝えました。幸い両親は厳しい人間ではなかったので、理解を示してくれましたし、その後も最大限のサポートをしてくれました。今でも本当に感謝しています。

 

2年生の2学期になり、症状は悪化しました。夏休みで生活リズムが完全に狂ってしまったのと、授業レベルが少し上がったのが大きかったかと思います。体育館だけでなく次第に教室にも入ること(というよりも居続けること)が困難になってきました。特に中間・期末テストの時は「地獄はここではないか?」という感覚すら覚えました。学校側に自分の症状を説明し、自分が参加できる体育の授業や部活動以外は教員室に横にある相談室みたいなところで自習学習を行うという形でしばらく通学することになりました。

 

症状は勿論ですが、この病気で個人的に何が一番辛かったかというと、理解してくれる人が少ないということです。こういったメンタル系の病気の宿命なのかもしれませんが、やはり「どうしてそんな感じになるの?」「(治す)気合が無いからでしょ?」「気合や根性が無いから…」という言葉をかけられることが多々ありました。これは症状以上に辛いものであり、むしろ自分を追い詰め症状が悪化する場合するありました。小学校時代から仲の良かった人にもこれに近いことを言われたことがあります。一応言っておくとこれら言葉をかけてきた人たちに悪意などは全くなかったかと思いますし、未だに憎しむ気持ちもありません。強いて言えばこういった病気があることを知ってくれれば…とは思いましたが、当時中学生だったことも考えると無理もなかったかと。

 

そうしていると、中学2年の10月にある大きなイベントがありました。それは職業体験です。職業体験は一つの班に3〜5人ぐらいに分かれて地元のお店に短期的に職業の手伝いを行い、そこで社会を学んでいこうというものでした。私は正直「お店の人にまで自分の病気で迷惑はかけたくない…」と考え、辞退を申し出ましたが周りの先生や両親からの説得もあり、参加することにしました。紳士服店での職場体験でしたが、当初不安に考えたことは全く起こらずむしろ職場の人から「凄くしっかりとしていた」「いらっしゃいませの声が良かった」と褒めてくれました。この時の経験が本当に自信となりました。

 

その後も相談室通学は続きました。気づけば中学校3年生となり、本格的に高校受験を意識するタイミングでした。「このままでいいのだろうか…?」「高校進学はできるのだろうか…」「早く治して授業に復帰したい」「毎日毎日同じことの繰り返しだ」こういった気持ちが脳内をグルグルと周り続ける“緩い地獄”のような時間でした。

 

そうしているとある日、歴史の先生にこんなことを言われます「アンタさぁ…もう教室に戻れるんじゃない?」と少し厳しめに言われました。病気で苦しい時期でしたから正直「なんでこんな厳しいことを言われなくはいけないんだ!」という怒りも少しありましたが、「ここで教室復帰しないと卒業まで相談室かもしれない」と思い、勇気を持って教室へと向かいました。そこではちょうど、6月に行われる京都修学旅行の打ち合わせを行っていました。

 

クラスのみんなと目が合うと若干なんとも言えない空気が流れましたが、快く受け入れてくれました。あの時のウェルカムな感じは今でも鮮明に覚えています。これは定期的に思い出したい記憶です。京都への修学旅行には新幹線で向かうのでそこへの不安はありましたが、乗ってみれば全く問題無かったです。ちなみにその京都修学旅行は人生でトップ3に入る楽しい旅行でした。はしゃいでビデオカメラ6時間ぐらい撮ったかと思います。

 

その後無事に高校進学が決まり、卒業式にも参加することができました。高校時代はまた“色々と”あったのでまた別の機会に。両親や先生、友人や担当してくれた医者の方々などのサポートがなければここまでは復帰することは不可能だっかと思います。本当に感謝しています。また中川家・剛さんやプロ野球選手の小谷野栄一(現オリックス・バファローズ二軍打撃コーチ)さんがパニック障害だと公表しています。小谷野氏の著書『心で勝つ 技で勝つ』という書籍には本当に心救われました。あと個人的にはこの時期に深夜ラジオにも出会いました。これもまた別でブログに書くかと思います。

 

ブログ自体かなり久々だったので大作になってしまいましたが、“リハビリ”にはもってこいだったかと思います。またこのブログを書いたことで病気ともひとつ区切りをつけれたような気がします。

 

最後にもし、今パニック障害で悩んでる特に中高生の人がこのブログを読んでいたら(超低確率)安心してほしいと思います。月並みなことしか言えませんが、あなたはひとりではないですし、今は情報や周りの理解もかなり進んでいるかと思います。少しぐらい休んだって人生そこまで変わらないです。

 

では。

 

心で勝つ 技で勝つ

心で勝つ 技で勝つ