無心テキスト

リハビリブログ改め

1年経ったら書くと決めていた話

おばんです。タイトルの通り、内容自体は当時から考えていました。が、内容が内容だけに気持ちも上手く整理がつかずに結局1年ほど経ってから書くことにしました。未だに起こったことが信じられないし、自分の中でこの考え方が正解かどうか分からないです。ただ、1年という時間の中である程度は文章にできると感じています。

 

2019年7月18日。京都府京都市伏見区で放火殺人事件で発生した。いわゆる「京アニ放火事件」だ。

Twitterやテレビの情報に見れば見るほど増えてゆく犠牲者の数、その凄惨な状況にその日一日は本当に放心状態だったのを覚えている。

 

「こんなことが起こっていいのか…」「何かの間違いであってほしい」そう願い続ける気力さえも残っていない程の絶望が体内を蝕んでいました。

 

私は「京アニファン」と言えるほどのファンというわけでもないが、会社名は勿論多くの作品を鑑賞していた。名前を挙げればキリがないが、『涼宮ハルヒの憂鬱』や『日常』『氷菓』『境界の彼方』『甘城ブリリアントパーク』など楽しんでおりました。…(過去作も含めてもっとチェックしないといけないな)

 

というよりもこの一件は「一人の男性が起こしたあまりにも絶望的な話」として考えている。犯人とされる(まだ刑が確定されていないため以下「容疑者」)青葉容疑者の動機や事件後の発言から、心の中にある闇について深く考えることが気づくとかなり多くなっていた。なぜならそういった「心の闇」は多くの人間が抱えており、自分もその一人だからである。

 

勿論、容疑者を擁護するつもりはない。どう考えたって理不尽な大量破壊行為で、失われた犠牲を考えれば極刑が妥当である。法によって裁かれる運命である。

 

ただ、「もし彼の周りに理解者が現れていたら…」「もし彼の表現が何かの形となって評価されていたら…」と考えてしまう。自分自身理解されていないと感じることはそんなに少なくないからだ。

 

以前このブログで中学時代に病気になった話をしたが、その影響もあってか高校時代は暗く過ごしてしまった。陳腐な表現かもしれないが、心に穴の開いた状態であった。中学時代とはまるで違う周りのテンションやノリに合わず孤独に、せっかく入ったと思った同好会が高2のときに消滅、修学旅行が無く農業研修という形で東北に…などこのエピソードも挙げていけばキリがないです。(別の機会にでも書きます)

パニック障害だったときの過去 - TSTのリハビリブログ

 

高校生時の暗黒時代の精神状態は異常以外の何ものでも無かったです。何回か校舎を見上げては「ここを爆破すれば全てが終わるのでは?」という妄想までしたこともありますし、「脳内デスノート」に記した名前は高校時代がトップでした。

 

それでも非行やドロップアウトはせず、高校3年間を過ごしきりました。しかもあんなに憎かった高校を2年時には皆勤だったかと思います。サボって湘南でも行けば良かったなと今でも後悔していますw

 

そんな高校時代は深夜ラジオ、アニメ、サンフレッチェ広島の応援にだいぶ救われました。これが無かったどうにかなってかと思います。あの時心の受け皿になってくれたのはエンターテイメントでした。

 

話は反れてしまいましたが、青葉容疑者に対して思うのは、その破壊的なエネルギーを別方向に変換したり、上手く消化する術を身に着けていれば…とは本当に思います。憎しみや怒りよりも、残念という気持ちです。彼の人生に何があったのかは詳しくは知ることができません。ですが、医療関係者に対して「こんなに優しくされたことなかった」言ったことはやはり心の闇が大きめであったことは想像するに容易いと思います。

 

この事件が起こる1ヶ月前、川崎で発生した連続殺傷事件について爆笑問題太田光はTBS『サンデー・ジャポン』にて、高校時代エピソードを挙げている(以下引用)

 

>>>太田「この犯人の場合は、自分も死ぬわけじゃないですか。自分の命も、たいして重く見ていないというか、自分が思っているような自分じゃなかったんだと思うんだよね。俺って生きててもしょうがないなと。

 

だけど、最後に一つ大きなことをする。でも、特定の病気だからっていうわけではなくて、そういう思いにかられることは、誰しもがあって。俺なんか(容疑者と)同じ50代ですけれど、高校生くらいの時に、何も感動できなくなった時があったんですよ。物を食べても、味もしない。

 

そういう時に『これはこのまま死んでもいいな』っていうぐらいまで行くんだけど、そうなっちゃうと、自分もそうなら人の命も大切には思えないよね。

 

だけど、その時に俺のきっかけだったけど、たまたま美術館行ってピカソの絵を見た時に、急に感動が戻ってきたの。

 

何を見ても感動できなかったんだけど、ピカソが理解できたってわけじゃないんだけど、その時の俺には『こんな自由でいいんだ表現って』っていうことで、そこからいろんなことに感動して、いろんなものを好きになる。

 

好きになるってことは、それに気づけた自分を好きになるってことで、それっていうのは、人でも文学でも映画でも何でもいいんだけど、そういうことに心を動かされた自分て、捨てたもんじゃないなって思うと、他の生きている生物や人間たちの命も、やっぱり捨てたもんじゃないって思える」

 

この言葉に救われた人は少なくないと思う。もし容疑者が自分の心の中にある負のエネルギーを何かのきっかけで、変換することが出来れば…そう考えてしまう。かつて自分もそうだったから。

 

最後に。今回の事件で亡くなられた方々にご冥福をお祈り申し上げます。また、ご遺族の方々、関係者の方々お悔やみ申し上げます。

 

【参考文献】

京アニ容疑者、医療関係者に謝意 「こんなに優しくしてもらったことなかった」 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200530/k00/00m/040/060000

爆笑問題・太田光「きっかけさえあれば…」 "もう、死んでもいい"から立ち直った経験を告白【川崎殺傷事件】 | ハフポスト

 

 

湘南の海また行きたいな。
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