おばんだぞ。緊急事態宣言が延長されたので、まーだ用心です。本当にいつまで言えばいいのか。今回は少し長めのやつ。10年以上前から思っていることを。
10代後半から病気なんかもあり、だいぶ塞ぎ込んだ人生を送っていました。行きたい高校にも行けずに終始ネガティブだった記憶です。色々変わるタイミングもあったとはいえ、その機会をことごとく逃し続けて今に。それぐらい引きずっていました。
高校時代からの私はいわゆる「クラスの一軍」「陽キャラ」とは真逆のタイプで、教室の片隅で読書か携帯を弄り、放課後は図書室で時間を潰す。そんな毎日でした。
でもそれは高校時代以降の自分であり、小中はクラスのムードメーカー的なポジションでした(強がりでもなんでもなく事実なんです!信じてください!)。
これが厄介で、根暗ではなく、自分の場合は「昔はクラスの人気者ポジションであったというプライド」のせいで空回りするということが何度か発生します。高校だと、それまで小中で築き上げた友人関係が一旦リセットされるので「自分の取扱説明書」が理解されないまま、学生生活がスタートしてしまいます。
そんなこともあり、10代後半からは「自己肯定感」が失われた精神状態だったと思います。具体的に何かに失敗したわけでもないのに、挑戦する前から失敗のことばかり考えては何も行動できない人生を送ってしまいました。
だいぶ前置きが長くなくなりましたが、この「自己肯定感」がここ数年とても大切だと言われて久しいです。自己啓発系の本やブログ、動画を開けば「自己肯定感が〜」の連続です。そもそもこの自己肯定感とはなんだろうか。
>>>「自己肯定感」とは、自分自身を受け入れ、尊重し、ポジティブに捉えることができる感情のことをいいます。他者と比較して何ができるか、何を持っているかなどで優劣を決めるのではなく、評価や成果の有無にかかわらず自分軸を持ち、そのままの自分を受け入れます。自己肯定感は、恐れや不安といったネガティブなモチベーションではなく、信頼や安心感をベースに前進する力を与えます。
この文章を読むに、自分が失ってきたものの全てと言っていいほど、この自己肯定感が自分には無いことに気づかされます。なりたいものにもなれず、かと言って憧れはある。常に劣等感と焦燥感だけが、自分の身体をグルグルと駆け巡る。ありのままの自分を受け入れられませんでした。
そんなときにある芸人の言葉を思い出す。それはかつて、おぎはやぎ・矢作兼が、爆笑問題・太田光に言ったとされる
矢作「太田さんは凄いけど、なりたくはない」
という言葉である。振り返ってみればシンプルな一言で矢作さんらしい言葉であるが、今の自分にとっては強く刺さりました。
考えてもみれば、サッカー選手にも、イケメン俳優にも、アイドルにも、資産家御曹司にも、お笑い芸人にも、NASA職員にも、東大生にも、錬金術師にも「凄いけど、なりたくない」「なれなくてもいい」と思えることで、自己肯定感は高まるような気がします。気のせいかもしれないけど。
今の自分は少しずつ肯定するために「憧れ」を「敬意」に変えて、自分にできること、やりたいことを確認する。そんな毎日になれたら、今よりかは自信を持てる人生になると思っています。
あの時「矢作兼の言葉に(勝手に)救われた」と思えるかもしれない。
思わないかもしれないけど。
では。