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雑感⑱:「全員に好かれなくても良い」論/Twitter辞め方考

おばんどう武者。坂東武者が活躍する大河ドラマ『鎌倉殿の13人』がめちゃめちゃ面白い展開になっているのでぜひ。8月ですね。ご時世なんでガッツリ遊んではいないですが、近場でのスポーツ観戦ぐらいですかね。遠出したい…バカアチい時期が続きますが、どうか皆様お身体ご自愛ください。今回も色々と書かないといけないことから逃げつつ書きやすい雑感書きます。

 

 

「全員に好かれなくても良い」論

友人や家族と会話しているときや、テレビやネットで良くこの類のフレーズを目にする。そして実際正しい。正しいんだけどモヤモヤする。この違和感はなんだろうか。

 

恐らくだが、「嫌われた側」の人間がこのフレーズを都合よく使っているからだと思う。

 

そもそも「全員に好かれなくても良い」というこのフレーズは「八方美人になっていると自分の軸が無くなる」だとか「気疲れしせずに済む」だとか、基本的には周囲に波長を合わせ過ぎたり、空気を読み過ぎてしまう日本人の国民性に対するアンチテーゼ的な考えだと思う。

 

ということはベース「誰からも好かれないと…!」「嫌われないようにしないと!」と考えがちな人向けのメッセージである。

 

ただ便利なフレーズが流行ると都合よく便乗してくる人が出てくるのは世の常で、どう考えても周りから嫌われがちな人間が吐き捨てるように「全員に好かれなくても良い」と、このフレーズを自己防衛のために使うことがある。実際使っている人を何回も見てきた。

 

理屈的には正しくても、立場的に使えるだろうか?単なる開き直りにしか思えない。例えるなら、「『お客様は神様です』を客側が言う」や「『褒められて伸びるタイプなんです!』と褒められたい側が言う」と同じ立場を理解して言わないといけないフレーズの一種だと思っている。

 

こういったフレーズは他者への愛あるアドバイスや自分で自分に言い聞かせるほうが効果的で、自己防衛に使ってしまうと返って逆効果になることもあるはず。

 

便利フレーズを使うときはこの辺の「言っていい立場かどうか」は一旦考えてもいいかなと。

 

 

Twitter辞め方考】

ここ最近、Twitterを辞め方についてについて真剣に考えている。別に今すぐにという話じゃない。寧ろ出来る限り、長くそして楽しく続けていきたいとは思う。

 

だがネット文化の栄枯盛衰の歴史や、昨今のTwitter買収報道などを見ていると「いつかは」という日は来てもおかしくない。ここからは仮の話だが、Twitterを辞めるパターンと辞めた後のこと想像してみる。

 

・①〈モチベーションの大幅な低下〉

様々な理由でTwitterに対するモチベーションが低下していることを経験したり、実際低下している人を見てきたが、現時点でこれが一番可能性が高い。

 

実際思うところがあり、アカウント休止&鍵アカウントを経験している。アカウント消去も本気で考えたが、Twitterでやり取りし実際にお会いしていることも多いのでこれはリスクしかない。

 

この経験をも超えるモチベーション低下は恐らく大きな炎上や、Twitterシステム大きな変更ぐらいだと思ってる。それぐらいことが起こらないことを祈るしかない。

 

 

・②〈アカウント規制および消失〉

何らかのトラブルに巻き込まれTwitterアカウントが規制および消失してしまうパターンも珍しくない。健全に運用していてもその可能性は十分にある。

 

その場合、10年以上運用していた愛着あるアカウントが無くなるということになるが、以前と全く同じような形まで復旧するのに多くの時間と労力が必要になる。

 

そこまでするか・・・?とふと思ったときに流れ的にTwitterごと辞めてしまうだろうなと。こちらもモチベーションに関する部分ですね。

 

・③〈Twitterサービス終了〉

現時点で現実的ではないが、上記でも触れた買収騒動や赤字決済報道など見ていると無い話ではない。

 

こうなると続けるどうこうではなく、Twitterという概念そのものがネット空間から消滅する。それがどんな世界かは想像できないが恐らくネット・コミュニケーションにおける新しいステージに突入している可能性がある。

 

その場合だと、そのステージにTwitterアカウントと同じ人格で、"引っ越し”している感覚なんだろうな。

 

そしてその新しいステージでも「Twitterのように振る舞う」のか「新しいコミュニケーション」を受け入れるかの選択があるはず。個人的には後者になっているような気がする。なんとなくだけど、「Twitter的振る舞い」がもう通用しなくなっている気がするので。

 

相変わらず、まとまりの無い話になってしまったが、Twitterにドはまりし現在でも主要なコミュニケーションツールとして使用している以上、その「終わり方」についても考えることがある。自分が辞めるのが先か、ツール自体の消滅か。個人的には後者の方が色々と諦めがつきそうで良さそうかな。

 

余程のことがない限り「辞める(=アカウント削除)」ということは無いと思います。

Twitter - ていすとの無心テキスト

 

2年前はこんなことを言っていたなぁ・・・今回はこの「余程」を考えたということで。

 

 

 

 

雑感と言いつつ、文章が長めに書けると2つぐらいの話題で終わっちゃうな…w

 

では、きょうはこのへんで。