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リハビリブログ改め

アンチの話

 おばんです。夏も過ぎて半袖では肌寒い季節です。個人的には秋が大好きで、夏場に溜まっていた行動欲を一気に解放するのですが、状況が状況なのでそこまで解放はできておりません。。。コロナが落ち着いた上で、2~3月ぐらいまでずっと秋でいいんじゃないですかね...w今回は「アンチ」について書きます。

 

「アンチ」という言葉。ご存じだとは思うが、改めてどういう意味だろうか?辞書で引いてみると、

 

アンチ【anti】名詞に付いて、「反対の」「…でない」「…に対する」などの意を表す。反。アンティ。 「-ファシズム」))

大辞林 第三版』より引用

 

と出てくる。端的に言えば、反対や「...ではない」という意味になる。

 

個人的に「アンチ」という感覚があまりよくわからない。正確に言うと「何かのアンチになる必要性を感じない」ということになる。

 

ここで言う「アンチ」とは、例えば「アンチ巨人」や「アンチ韓国」などの特定の集団や個人などに向けられる感情であり、「アンチ差別的発言」や「アンチ人種差別」などの人類ベースで抗わなけらばならないものとは異なる。前者が「相対的アンチ」とすれば、後者は「絶対的アンチ」だと言える。

 

「相対的アンチ」で考えれば、私はJリーグサンフレッチェ広島が好きなため、その広島と敵対するチームのアンチになるということになる。しかし、他のチームに対して全くといっていいほど「アンチ」という感情が沸いてこない。

 

一時期浦和レッズに何選手も広島から選手が移籍するということが起こったが、そこまで強烈な感情が起こらなかった。もちろん、サンフレッチェ広島が他のJリーグクラブとライバル的な敵対をしてはいないためかもしれない。

 

では、お笑い芸人やテレビタレントではどうだろうか。「アンチ」と考えても中々名前が浮かんでこない。不祥事を起こしたタレントに対しても、「シンプルにもったいない」「その不祥事を本人はどう考えているのか?」「そこから何を学び、どう立ち上がるのか?」ということにしか興味がない。自分が直接または間接的に被害にあっていなければそもそも怒りという感情が本当に湧いてこない。

 

では、「そもそも感情的にドライなのではないか?」という疑問が起こる。しかし、テレビでもラジオでもサッカーでもアニメでも音楽でも「強烈な好き」は数多く持っている。しかし、その好きなものと対極に位置する存在が登場しても「アンチ」という感情が発生しないと思う。

 

「愛と憎しみは表裏一体」というが、私の場合は表側に「愛」と書かれたコインは持っていても、裏にはおそらく何も書かれていない。もしくは「憎」以外の何かが書かれているはず。

 

ここまで、「アンチ」についてダラダラと書いてきたが、怒りや憎しみ自体は普通に持っている。持っているどころか、そこそこに根に持つタイプだと思っている。それでも、少なくても自分の好きなジャンルのエンターテインメントでは「アンチ」というスタンスになったことがない。

 

これは変わっているのか?普通にそういう人もいるのかが分からない。

 

いつかは分かりたい。

 

では。