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リハビリブログ改め

尿管結石事件~真夏の惨劇~

おばんです。非常事態宣言から2週間が経ちましたが、皆さんどうお過ごしでしょうか?後でこのブログを読み返したときに「そういえばこの時はコロナで大変だったなぁ」と言えるほど終息していることをただただ祈るばかりです・・・

 

今日は2年前の夏に起こった悲劇について書きたいと思います。

 

忘れもしません。あれは2018年の7月21日に起こりました。その日は休日の土曜日で、午後から予定が入っていた以外は特に予定もありませんでした。10時頃に起床し、身体をゆっくり起こしながらTwitterでも見ていると、左腹部にじんわりと少し熱っぽさのある痛みを感じました。

 

 

最初はいつもの神経痛でしばらくすれば痛みも治るだろう・・・と思っていました。

 

 

 

 

 

ああああああああああああぁぁあぁぁぁぁあああ!!!!!!!!!!!痛い!痛い!痛い!なんだこれは!?!?!?!?!?

 

 

 

その痛みは徐々に強さを増し、どう考えても我慢できるレベルではないとすぐに理解しました。自分の部屋からリビングに移動し、左腹部の説明しました。説明している最中にも痛みは強くなり、このあたりから救急車の要請を考えるようになりました。

 

その痛みを家族に説明しました。事態が事態だったのでさすがに救急車を呼んでもらえるだろう・・・結果は呼べませんでした。正確に言うと、呼ぶぐらいの痛みじゃないんでしょ?と言われたあたりで少しが痛みが“引いてしまった”が正しいです。不思議なもので話していると少し痛みが引いて移動できるほどに収まってしまいました。

 

そんなこんなで服に着替え、地元の診療所に自転車で向かうことにしました。自転車に乗ている最中も少し痛みはあったものの、耐えられるレベルでした。はい、で・し・た。

 

診療所に到着し、手続きを終えて待つこと約15分。自分の名前が呼ばれる診療室に入る。症状を伝えるとお医者さんが「あーそれは尿管結石の可能性が高いですね・・・」と話している最中に痛みの段々と強くなってきました。私は「ん・・・?尿管結石は言葉に操られているのだろうか?」と思う余裕も無いレベルで痛みが強くなりました。

 

すぐに診療所にある簡易治療室(正式名所不明。簡易ベッドなどがある部屋)に移動。ベッドに移動すると痛みはついに臨界点を突破する。みなさん痛すぎて意識が朦朧したことってありますか?過去も未来もないことをお祈りします。私は左腹部の激痛がいくところまでいってしまい、意識が少しずつ朦朧していきました。このあたりから「走馬灯」に近いものまで見えてきました。これは少しオーバーな表現かもしれませんが、人間は命の危機を感じると過去の人生を振り返るようになっているのはほぼ間違いないと思います。

 

痛みはそこからも続きました。そうしていると遂に「痛いと感じることに飽きてもうどうでもよくなる」という境地にまで達してしまいました。大病を患ったことのない私にとってこれは本格的に「死」を覚悟するレベルでした。

 

そしてこの尿管結石のもう一つ厄介な症状が「激しい吐き気」です。これも本当に大変でした。診療所で急激な吐き気に襲われ、確か2回ほど嘔吐しました。幸い朝食は摂っていなかったので大量に吐くことはありませんでしたが、体力的にも精神的にも大きなダメージでした。

 

その後医者と相談し、家族に連絡。泌尿器科のある大型病院に移動することとなりました。家族の人とタクシーに乗り大型病院に移動。これまた不思議で移動中も痛みは少し和らいでいました。

 

大型病院に到着。泌尿器科のあるフロア到着し、ベンチで座っているとまた痛みに襲われる。大型病院のため、人も多い中なるべく痛みに耐えようと必死でしたが、成人男性でもまず耐えられるレベルではないと断言します。夏場ということもあって、流れ落ちる脂汗をハンカチでふき取りながら自分が呼ばれるのを待ちました。

 

途中、痛みに耐えきれずにトイレに行きましたが、何も症状は完全されずに嘔吐と激痛に耐えるの繰り返しでした。そして病院トイレについている「緊急通報ボタン」を押してしまいました。すぐに看護師がトイレにやってきて「大丈夫ですか?」と声をかけられました。このあたりから正直記憶があいまいです。それほどの激痛でした。

 

ようやく自分の名前が呼ばれ、泌尿器科に移動。まずは症状を説明して、すぐに血液採取。そして、痛み止めの飲み薬と座薬が渡されました。ほぼ尿管結石であることは誰の目から見ても確実でしたが、CTスキャンを行わないことには確定できないとのことでした。もちろんこの時も痛みはあり、しばらくベッドで安静にすることになりました。

 

ベッドでもしばらくは激痛と吐き気が止まりませんでしたが、痛み止めが効いたのか少し和らぎCTスキャン室に車イスで移動することになりました。どうでもいいことかもしれませんが、これが人生初の車イス乗車でした。

 

CTスキャンには石はばっちりと写っていました。尿管結石と確定して少し安心しました。もう一度泌尿器科に戻り、今度は尿検査を行うことになりました。ですが、尿管結石中はなかなか尿が出ません・・・しばらくするとなんとか尿が出てきましたが、今まで見たこともない色の尿が出てきました。いろいろと例えたいですが、生々しい表現は控えます。

 

検査を終えると、診察室にて医者との話が始まりました。医者曰く、尿管結石の多くは「シュウ酸」というものが固まり、それが尿管に詰まることで尿が上手く排泄されずに強い痛みが発生するというものでした。また、診療所まで自転車で移動したことを説明すると「本当に!?」「よく救急車使わなかったね!」などと医者が驚いたと同時に救急車を呼ぶことに否定的な態度を取った家族に対してやや冷ややかな目をしていましたw

 

その後薬をもらい、無事帰宅・・・したかに思えましたが、帰宅直後も激痛と嘔吐(このこれにはもう吐くほどの吐瀉物もなく「空嘔吐」でした)が30分ほど続きました。本当に厄介な病気です。そのあとは痛みもなくなり、安定期に入りました。

 

その直後の私のTweetをご覧ください。

 

しかし、この病気は「石が出るまで」気持ち的に安心できません。幸い、3日後には無事排出され、その石を病院に検査してもらい、この病気を乗りこえることができました。医者曰くこの病気は再発率が高いのと、遺伝によるもの大きいとのことでした。こんなもの遠回しな死刑宣告と変わりません。ですが、食生活の改善と適度な運動で再発を防ぐことができるものでもあります。

 

思い返してみると尿管結石になった7月頃は食生活が荒れており、週4でカップ麺、週5で当時売られていた森永のアイスボックス巨峰味を食べていました。石が出来てもしょうがなかったと思います。

 

今回は尿管結石を患ったときのエピソードについて長々と書いてみましたが、今思い出しても冷や汗がでるほどの壮絶な経験でした。よく「タバコは病気にならないとやめられない」なんて聞きますが、怪我や病気を経験すると本当に健康に気を遣うようになると思います。実際、シュウ酸が多く含まれるほうれん草、チョコレート、コーヒー、紅茶、大根などの食品は食べ過ぎないようにしていますし、糖質・脂質・塩分はかなり気を遣うようになりました。みなさんも本当にお身体の方をご自愛ください。

 

余談ではありますが「尿管結石」について色々と調べてみると「医者が選ぶ痛みランキング」では常にTOP5に入ってることや、英語圏では‟King of Pein(痛みの王様)”や‟The Final Destiny(最後の運命)”‟Satan's Scream(サタンの叫び)”などという遊戯王カードのような異名がついていてこれには笑いました。

 

皆さま本当に本当にお気をつけください・・・では。

 

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